推古天皇4年
(西暦596)聖徳太子 が道後温泉に来 られて 帰路の途中来島海峡で時化にあいました。その時、波の間より 千手観音が亀の背に乗り現れ太子の船を入り江に導き難を逃れ、
太子は伊予の国司小千勝海に命じて、その千手観音を奉る為、 大亀山船守院龍慶寺(高龍寺)を建立したと伝えられています。
天正年間までは村上水軍の本拠地があった亀老山中腹に壮 大な伽藍を配し末寺 72ケ寺を有しましたが、戦乱の時代天正元年に放火により全焼し、その後、能島水軍の大将村上武吉によって現在の場所に再建されました。
現在は真言宗御室派の中 本寺となり、島四国霊場33番札所、せとうち七福神霊場布袋尊祈願所として年間多の参拝者が訪れています。
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亀老山中腹に高龍寺奥の院があります。
そのお堂の横には村上水軍義弘公を奉る墓所があります。
天正年間までは、この場所にお寺がありましたが、 戦乱の時代、放火により現在の場所に能島水軍の将村上武吉の発願で再建されました。 |
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